先日は私が住む街で行われた「日伯交流130周年記念イベント」に参加。大げさなイベントタイトルが付いていますが、ブラジル人的にはブラジルの子供の日Nossa Senhora Aparecidaのイベント、会場が何故か競輪場でちょっとシュールな感じがしましたがなかなか楽しめました(苦笑。
愛知県は日本語が要らない割に賃金の良い自動車関係の雇用が多いため1990年に入管法を改正し労働力として受け入れた日系ブラジル人が集住していて、特に豊橋市には8千人を超えるブラジル人の方たちが住んでいるのですね、ピークだったリーマンショック直前の1.3万人からはだいぶ減ってしまいましたが。
しかし以前と比べればトラブルや犯罪もだいぶ目立たなくなりましたし、以前多かった子弟の教育問題もブラジル人学校や市の教育委員会の尽力のおかげでほぼ無くなりましたし安定した助け合い精神の強い良い感じのコミュニティーになったと思います。
コロナ禍が終わってから外国人の受け入れが再開され訪日外国人旅行者も外国人労働者も急激に増えすぎて外国人に関するいろいろな軋轢や摩擦が日本全国で起き社会問題や政治マターになっていますが、そもそも1990年に日系人の受け入れを日本が始めたきっかけもその前の80年代に不法滞在外国人の不法就労や凶悪犯罪や当時ボートピープルと呼ばれた偽装難民問題、中国人による偽装留学問題などがあっての事ですから歴史は繰り返すというか日本の外国人受け入れ政策が当時と比べ進歩していないということでしょう。
日系ブラジル人を受け入れた当初も騒音やゴミ出し、車の路上駐車などの生活トラブルや犯罪、子弟の不登校や非行などの問題が噴出した時も、当時の政府や自治体は「ブラジル人と多文化共生しましょう」みたいな事を言ってましたがあれは効果があったのか、今思うと馬鹿の一つ覚えの念仏だったような感じがしますが。
ブラジル人コミュニティーが落ち着いたのも受け入れから35年経って移住3代目の世代に、日本生まれや日本育ちのブラジル人も増えて日本社会とだいぶ統合というか同化が進んだのが一番の原因だと思いますがどうでしょう。
日本にルーツや縁が有り家族帯同可能で永住許可も優遇されている還流移民の日系人でさえ日本社会に馴染むまでこれだけ長い時間がかかったわけですから、今日本で増えている言葉も宗教も違う全くの外国人が日本に馴染む、日本側から言うと多文化共生できるようになるまでには相当の時間がかかるのではないでしょうか、三代日本に住んでもらってようやく日本に慣れ馴染むくらいの感じでしょうか。
外国人との多文化共生社会の構築が数年で達成できるものでは無いことを理解していただければ幸いです。リンク先も良記事ですから参考にしてみてください。【業務月報2025年10月】