日本で外国人雇用が始まったのは1990年の入管法改正からですから今年で30年、コロナショックのせいでそれどころではないせいか、ニッチで怪しい世界のせいか誰も話題にしませんが我が国における外国人雇用がどのように変化してきたかを一度整理してみたいと思います。

1990年代の外国人雇用

1990年の入管法改正では就労制限の無い定住者の在留資格が作られ、ブラジル、ペルーなどの南米から日系3世や日系人の外国人配偶者が日本に大挙やってきました。当時日本はバブル景気でしたし、今ほど少子高齢化が進んでいませんでしたので日系人労働者は日本語の要らない、賃金の高い製造業に吸収されました。当時日本にやってきた外国人の雇用は伝手を頼った直接雇用と派遣会社経由の間接雇用が並立していましたが、製造業は派遣不可でしたので後者の外国人雇用の場合、偽装請負というグレーな手法が取られ社会問題になったのを記憶している人もいるかと思います。1993年頃から日本は平成不況に突入しましたが、日本人の正社員を外国人の非正規に置き換える人件費コストカッター的な使い方をされ外国人雇用が伸びた10年と言えるでしょうね。

2000年代の外国人雇用

偽装請負による外国人雇用問題は2004年に製造業派遣が解禁され解消されると同時に派遣による非正規雇用外国人雇用の需要が飛躍的に大きくなりました。世界で当時100万人いると言われた日系人労働者の受け入れだけでは需要を満たせなくなり、次に注目を浴びたのが当時の外国人研修制度、現在の外国人技能実習制度です。当時の外国人研修制度は職種の制限はありましたが1年目の在留資格が研修で労働基準法を適用を受けない点が製造業と比べ小規模で零細な農業や縫製という斜陽産業に好評を得たのでしょうね。当時研修生の主力だった中国と日本では賃金格差がとても大きくそれほど問題も起きなかったと記憶しております。2009年に外国人研修制度は廃止され技能実習制度に一本化され職種も拡充され後の活用への布石となりました。

2010年代の外国人雇用

2008年にリーマンショックが起こり日系人労働者と中国人技能実習生による外国人雇用に蹉跌が入りました。2009年から2011年の東日本大震災、その後の円高不況までが今思うと4年ほど続いた外国人雇用冬の時代でリーマンショック前約32万人いた日系ブラジル人は派遣切りの失業や生活困難により一時ほぼ半減、中国人技能実習生も母国の経済発展で日本に来なくなってしまいました。2012年に政権が民主党から自民党に変わり第二次安倍政権が発足、いわゆるアベノミスクという経済政策が行われるようになりました。円安誘導により製造業の輸出が回復し、訪日外国人旅行客が日本に押し寄せるインバウンドブームが起こり2015年には中国人旅行客の爆買いが流行語にまでなりました。このアベノミスク好景気を影で支えたのはベトナム人技能実習生、偽装デカセギ勤労留学生、偽装難民という3種の外国人です。

(以下長くなったので来週に続く)

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