「メコン河の台湾島(湄公河上有座台灣島)」という台湾のテレビドキュメンタリー作品をネットで鑑賞、とても勉強になったので備忘録として書き留めることに。

舞台はベトナム西南部のメコン河河口にある人口3万人の小さな島、かつては特産のサツマイモの栽培で栄えていたそうなのですが、ベトナム政府が1980年代に始めたドイモイ政策による農業不況で時代に取り残されるようになり人あまりにより島からの人口流出が始まったそうです。

台湾が経済成長による人手不足で外国人労働者を受け入れ始めたのが1990年代、同時に未婚化も進行していたらしくベトナム人女性を台湾人男性の配偶者として受け入れ始め、メコン川河口にある小さな島から多くのベトナム人女性が台湾に嫁ぐように、全盛期には3軒に2軒の娘が台湾に嫁入り、ある家では娘全員が台湾に嫁入りという状態となり、いつしかその島が「台湾島」と呼ばれるそうになったそうです。

ドキュメンタリーには3人のベトナム人女性が登場、1人目は小嬋と呼ばれる中学生の女の子、父親台湾人母親ベトナム人のハーフで台湾生まれなのですが父母が離別、母親は台湾に留まり小嬋のみが小さい時にベトナムに送り返され母方の祖母に育てられたそう、国籍は台湾でベトナム国籍は持っておらずベトナム人なのにベトナムで外国人として暮らすことを強いられ日常生活でいろいろな困難や差別が。日本でも日本人男性と国際結婚したフィリピン人女性が子どもを産んだのに関わらず離婚したり経済的に日本で育てられず母国で親族に育てさせ国籍日本なのに日本語が話せなくなるといういわゆる新日系人やJFC問題がありますが似た状況だと思わされました。

2人目は靜宜というこれまた台湾ベトナムハーフの若いベトナム人女性、この女性もまた父母が離婚しベトナムに送り返され母方祖母に育てられましたが、12歳の時に台湾に呼び戻され猛勉強して中国語ベトナム語ダブルリミテッドの状態を克服し台湾で有名大学に進学、同じ境遇にある子どもたちが沢山いる台湾島に中国語や台湾文化を教えるボランティアとしてやってきたそうです。この子の場合本人の努力や環境の良さに助けられましたが日本にも連れ子定住という在留資格があっていろいろ問題が起きてますが、似た状況だなと唸らされました。

3人目は42歳の阿銀という女性、21歳の時に友達に紹介された台湾人男性と国際結婚し台湾の高雄に移住し娘を産みましたが産後鬱となり台湾人夫に片道航空券を渡され無一文でベトナムに送り返され娘と生き別れにという重いケース、外労と見下される外国人労働者として台湾に渡るより外配と呼ばれる外国人妻として台湾に移住したほうが幸せになれる確率が高いという期待値があるので台湾人男性とベトナム人女性の国際結婚が流行ったと思うのですが、実際には夫や夫の家族と上手くいかなかったり、メイドや介護ヘルパー扱いされるという例も多いようですね。

以前は台湾に嫁ぐ娘が多く台湾島と呼ばれた小島ですが、近年は経済成長著しい韓国に嫁ぐ娘が多く韓国島とも呼ばれるように。実際台湾に嫁いだ娘がいる家より韓国に嫁いだ家のほうが造りが立派らしいのですが、ベトナム人女性の国際結婚も労働力輸出の一環でしょうし、国際結婚する娘は豊かになりたいという一家一族の願望の人身御供、犠牲者なのかも知れません。外国人労働者が日本離れしつつある我が国も隠れ蓑として外国人妻の受け入れが盛んになるかも知れませんがあまりオススメはできませんね。【業務週報2024年10月第4週】