私が申請取次行政書士になったのが確か2003年ですから今年で業歴22年目に突入、自戒の意味も込めて今までの道のりと業務の変化について振り返ってみたいと思います。

開業当時は平成不況真っ只中で倒産する会社や失業者が多く今より世相は悪かったはず、というか私も失業者の一人でしたから(苦笑。愛知県だと人材派遣業だけは日本人をリストラし派遣の外国人労働者に置き換えるという手法で市場が拡大していて景気が良かったのですが、今ほど外国人労働者の在留資格や入管手続きが分かる人間がいなかったので申請取行政書士が重宝されたのですね。

2000年代に東海地方で多かったのは在留資格が日本人の配偶者等や定住者の日系人、ブラジル人はほとんど問題無かったのですがペルー、ボリビア、フィリピンなどは所謂偽装日系人や不法滞在者も多くいていろいろな問題が起こりましたね、入管で何度怒られたことか(苦笑。

その日系ブラジル人も2000年代中期以降日本語や日本の文化習慣の分からない若い日系3世とその配偶者が多くなってくるにつれて過度な転職による定着率の悪化、犯罪、逃げ得などの問題が起きイメージが悪くなり雇用側が新たな外国人労働者を模索するようになっていきました。

それが当時外国人研修制度と呼ばれていた今の技能実習制度、いくつかの組合の設立や研修生や実習生の受け入れに関与させていただきましたが今の技能実習制度の本音と建前との乖離、魑魅魍魎さと比べればまだ厳格に運用されていてトラブルや問題も少なかったはずです、リーマンショックの時も派遣のブラジル人労働者は大量に雇止めになりましたが実習生を解雇する企業は無かったですし。

2009年にリーマンショック、2011年の東日本大震災、その後追い打ちのように円高不況が起き、仕事が無くなった日系ブラジル人労働者の帰国が続きアベノミスクが軌道に乗るまでが外国人雇用の谷間だったような気がします。

2010年代はアベノミスク景気や少子高齢化の進展で激しくなった人手不足への対応として技能実習生の業種職種が拡大され、今思うと「技能実習バブル」のような感じでしたね、豊かになった中国から実習生が来なくなり代わりにベトナム人技能実習生が急増、数が増えると同時に失踪や偽装難民認定、犯罪も増えていき社会問題に、2019年に問題解決のために特定技能の制度が作られ昨年から日本永住可能な2号移行者が出るようになってきたのですね。

こう振り返ると我が国は経済的にどんどん弱っていて、外国人労働者を受け入れても彼らの満足する給与待遇を与えることができず質が落ちてトラブルや犯罪が増えて、新たな外国人労働者の送り出し国を模索するということを繰り返していますね(苦笑。

20年前は先進国の日本で働ける、日本に住めるということは発展途上国の外国人にとって夢のような名誉な事だったと思いますし、在留資格を取るという行政書士の仕事も大いに感謝されたものですが、これだけ外国人労働者の受け入れや外国人雇用が普及すると逆に日本の在留資格が陳腐化してしまい外国人労働者の質が落ちるという禅問答のような話、外国人受け入れの永遠の課題ですね。【業務週報2025年3月第1週】